鈴木亜久里と松岡修造

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ともに世界に挑戦した人々ですが、個人的には

好きと嫌いの両極端です。

まずは、結論から、私は亜久里さんは好きです。

でも修造は嫌いです。

 

 

ある人が、自分はそれなりのことをしてきたという自信のもとに

いろいろ書いているのを読むたびに違和感を感じます。

結局プロにもなれなかったくせに、一流を語るからですね。

一流とは、あなたの居場所とはかけ離れたところにいるのだと

いつか教えてあげたいような衝動にかられます。

 

 

亜久里さんも修造も世界と戦って大きな壁に弾き返されました。

でも、弾き返され方のレベルが全く違うように思うのですね。

その違いが、それぞれの世界での受け止められ方に現れています。

亜久里さんは、世界に受け入れられているんですね。

 

 

あの状態でよくぞ戦えたものだ。

金があったらどうなっていたかわからない。

要するに、一流に認められたのです。

負けると分かっていても挑戦し続けた亜久里さんと

パフォーマンスで挑戦しているように見せかけた修造は

もう根っこが違うような気がします。

 

 

そんなことは、人との接し方ですぐわかってしまいます。

 

 

亜久里さんは、オヤジさんにどれだけ殴られたかしれないぐらい殴られた。

今であれば、虐待で訴えられる以上に殴られていました。

でも、そんな素振りは全く見せない。

痛い思いをさんざん受け入れて、それでも常に

自分が決断してきたからこそ今があるのだと思います。

 

 

一方、修造は、オヤジから逃げた男です。

そのくせ、自分で自分を追い込んだようなことをよく言います。

これはもう人間のレベルの違いとしか言いようがない。

そう思うのですね。

 

 

とある人が良く一流を語っているので

生意気にも私も一流を語ってみました。

ただ、アフィリエイターで一流は、日本にはまだいないのかもしれない。

そう思います。

 

 

よく一流を語るあの人は、ものすごくいろいろ乗り越えてきているそうです。

でも、亜久里さんはそんなふうに言うだろうか?

決して言わないのだと思います。

中途半端に乗り越えたつもりになっているかもしれないけれど

そもそも大したことをしていないのではないですかね?

 

 

それは、普通の人が普通の生活を送っているのと

大差ないのだと思います。

 

 

人間は、大したことをしていないのに

大したことをしていると感じたい生き物なのかもしれません。

でもそんなことは、周りの人々が決めることで、

自分で決めることじゃないんじゃないですかね。

 

 

修造が嫌いな理由は、ここに尽きるかもしれません。

彼は、自分を褒められる珍しい男です。

女だって自分を褒める女なんて奇妙ですね。

マラソンで銅メダルを取った有森 裕子が

自分を褒めたいといったときには、虫酸が走ったのを忘れることができません。

 

 

好きなことをやって、やりきったあとに自分を褒める?

どんな思考回路なのか私には理解不能です。

 

一流とは、松平康隆さんのような方を言うのではないでしょうか?

ミュンヘンオリンピックの後のインタビューが忘れられません。

 

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